2005年12月16日

死の話。

突然ですが、今回はちょっと「死」について考えようと思います。
全ての生物に必ず訪れるもの、それが死ですよね。
つまり生物は生まれた瞬間死に向かって歩み始めるわけです。

では「死」は果たして終着点なのでしょうか?
人間が死ぬとその瞬間まで人間だったものは人間の形をした肉の塊になるわけですよね。
一切の物理的生命活動は停止してしまうわけです。
つまりは生きていないってことですね。
ということは「死=終わり」なのでしょうか?
それはまた難しい話です。
でも、生物ってその本体だけでなく外部媒体を介して存在することもありますよね。
それが書籍だとか記憶だとか。
ただしその場合、生物としては独立した「生」の存在を維持していくことはできないわけですし。
やっぱ無理みたいですねぇ。
とりあえずは生物物理学的に考えると完全に「終わり」ですね。

ではちょっと視点を変えてみて「死は通過点」と考えてみてはどうでしょうか。
肉体という物質から解放されて、「命」の新たな段階に入る、という見解。
天国・地獄、などの死後の世界に行く、はたまた転生する、とか。
ん〜、確かに宗教的にはアリなんでしょうけどオレぁ無宗教だからなぁ…(笑)
そもそもどこからどこまでが「命」なんだか分からないですからね。
例えば「死した後=生を受ける前」と捉えてしまった場合、もはやエンドレスですから。
イカリングの継ぎ目を探すようなものです。
えぇ、ありませんよ、そんなもの。
とまぁ冗談は置いといて、と。

それから転生なんですけどね、オレはちょっと無理があると思うんですよ。
「みんな誰かの生まれ変わり」っていうあれが、ね。
いやいや、全員誰かの生まれ変わりなら地球上の生物の総数は例え10億年経っても変わるわけないじゃないですか。
ってかむしろ生物が誕生した瞬間から変わってないことになりますよ?
アメーバとかの分裂なんかはどう捉えたらいいんですか?
ほら、突っ込み所が結構あるんですよ。
「みんな誰かの生まれ変わり」の「みんな」って部分さえ取り除いてくれたら別にあってもいいと思いますよ。
オレは信じませんけど。

・・・。
分かってたんですよねぇ…。
絶対まとまらないってねっ!
予想通り収拾がつかなくなっちゃいましたのでこの辺で打ち切ります♪
だって検証しようにも手段がないんですよ。
まぁ死んでからのお楽しみってことにしましょうか。
いや、本当に死んでみなきゃ正答なんか分からないですよ。

「死」かぁ…。
みなさん、どう思います?
posted by The Biggest Dreamer at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然オレ的に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死は終わりかどうかという問いだが、しかしそれを考える前に人間はどこからが死なのかを考えなければならない。生命倫理の観点から言うと、死は一般的に心臓死と呼ばれるものと脳死、そしてまだ死と定義されていないが植物人間の三つがある。心臓死と呼ばれるものは昔から存在する自然死と呼ばれるものだろう。しかし後のの二つは人工呼吸器などの医療技術の発展により本来生きるはずのない人間が延命されている。植物人間と脳死の具体的な違いはここでは省略するが、この二つは死なのか?という疑問が残る。心臓は健常者と同じように働き、体温調節も自力でする。しかし現在は段階的に踏まえていくと脳死は死と判定され、臓器提供などの健常者のための臓器のパーツとして利用される。現在日本ではその段階的な判断を早め臓器摘出の時間を短縮化する法整備が着々と進んでいる。これからの人間はこの人工的に作り出された死についでどう考えるかが本格的に必要になると考えられる。また人類学の視点から見ると、現在、サイボーグの技術が着々と進んでいる。実際、脳に直接集積回路を繋ぐことにより脳の働きだけでパソコンを動かしたり、テレビをつけたり、さては自分のペットを思いのままに動かしたりすることが技術的に可能になっている。ゲノムも解明されCD-Rに焼かれてしまうほどだ。現在は人間の記憶「脳の海馬」に直接プラグを差込み記憶をデジタル的に抽出しHDに入れてしまうなどという技術も本格的に研究されている。もしそれが可能になったら、もはや人間というのは魂を繋ぎとめておく肉体という器そのものが不必要になってしまう。それどころか記憶をHDに入れてしまうと物理的に死というものが人間から消えてしまうことになる。体が弱ったら脳の変わりのHDを他の体、人工的な擬態に移せばいいのだから・・・どっかでそんなアニメがやっていたな・・・死が終わりかどうかという問いに沿って考えると現在の私の考えは終わりだと思う。しかし、医療技術の発展と科学技術の発展により生と死の境界は限りなく曖昧になり、もはや終わりと始まりという概念そのものがなくなってしまうのかもしれない。
Posted by 誰か at 2005年12月17日 17:00
>誰かさん
そう、死の定義については色々意見が分かれるところなんですよね。
オレもそれについてレポートというか論文を書いたことがあります。
しかしやはりどれが正しいなどという絶対的解答はありえないので、今回は端折っちゃいました。

書き込んでくれた意見は大変核心を突いたいい意見だと思います。
しかし、いくら全情報を移植したとは言え100%メカニックな「物体」は果たして生物と言えるのでしょうか?
オーガニックな要素のない物は自然界の物ではありません。
よってどこからを生物とするのか?またどこからを「生きている」と位置づけるのかも結果を大きく左右します。
記憶を抽出できたところで、果たして機械にはデータを参照するのではなく、プログラムにはない「考える」という行為を行うことができるのでしょうか?
確かに学習型コンピューターは存在してはいますが、「学ぶ≠考える」です。
考え、更にそれを出力できてこその生物ではないでしょうか(もちろん例外もありますが)。

まぁこれは実現してない現在あーだこーだ言っても現時点では正解はありません。
きっと実現した時、その時代の人達が人間様に都合のよい「法律」と言う名の人間特有の権利を振りかざす鎖で束縛してくれることでしょう。
Posted by まさき at 2005年12月19日 00:40
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